由緒・沿革

鎌倉時代~

 「小杉」という地名の発祥とされる寺院・蓮王寺の境内には、多くの鎮守があり、建保3(1215)年、僧・教信がこれらを合祀し、現在の十社大神の場所に「十社大明神」を創建した。

 合祀されたのは、鷹尾大明神・延命院・大悲院・月光院・不動院・笹山院・無量寿院・弥勒院・甘露院・勝軍院のあわせて十院。当時は神仏習合の神宮寺として栄えた。

 「十社」という名称は、祀られていた十の鎮守をあらわしたとみられ、氏子の崇敬厚く、三ケ村の総社のような位置づけだったという。

 神仏習合の名残で、現在も菩薩像などが十社大神の宝物殿に収蔵されている。

 


室町時代~

 応永7(1400)年、三ケ村南部の下条川沿いに伊勢神宮の内外両宮が分社され、神明社が創建された。

 このとき、檜垣二見太夫の舎弟隼人が神輿を供奉して社家8人を従えて伊勢からこの地に移住し、現在の伊勢領の町名の由来となった。

 木造神馬や木造狛犬も伊勢から運ばれたと伝わる。

 また、桧垣二見太夫などの太夫職も出張して神宮大麻の頒布を行ったという。

 

 伊勢領神明社は、約3500坪の広大な境内地の中を下条川が流れ、これに橋を架し、石燈籠を並列するなど、その構造は伊勢の本社を模していた。杉の大樹や老木の藤が繁り、権威ある社として信仰が厚かった。

 明治時代に編纂された射水郡誌には「加賀および富山の両藩が幣帛を供えて参拝した」とある。

 


昭和時代~

 昭和2(1927)年、十社大明神のあった場所に三ケ地域の14社が統合され、現在の十社大神となった。

 14社は、伊勢領神明社・枯杉社・諏訪社・黒崎社・貴船社・三本杉社・天神社・八幡社・愛宕社・笹山社・住吉社・福堂社・神明社・八幡社。

 

 統合に際し、社名には「十社」という言葉が残り、「大明神」は「大神」へと変更された。

 御本殿は旧伊勢領神明社の神明造の社殿を移築。主祭神は伊勢領神明社に祀られていた天照大神とされた。

 拝殿は、昭和8年に建築された。

 


平成・令和時代

 十社大神は、伊勢神宮の分社として神宮との結びつきが強く、富山県では珍しい神宮遥拝所があり、射水市三ケの地から伊勢の神宮を遥拝できる。

 

 平成5年と平成25年の伊勢神宮の式年遷宮の際には、御用材が神宮から下げ渡された。

 十社大神では、これを活用し、内宮御正殿を復元させた幣殿を新築したほか、神宮と同じ様式の鳥居を設置した。

 

 令和元年には、江戸時代に造られた御神輿を修復。八角形の大きな御神輿が往時の輝きを取り戻した。

 

 また、三ケ地域では、小杉左官が江戸時代から明治時代にかけて高い技術力で全国に名を馳せた。

 十社大神には、鏝絵の名工である竹内勘吉・源造親子の残した絵馬などが数多く奉納されている。